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てけれっつのぱ!

悪口雑言罵詈誹謗録

市井の語る「死生観」の姿勢について

金元星也

 ネット上には膨大なテクストが日々書き込まれている。ツイッターでもブログでも、よくもまあカネもくれないのに毎日毎日どうでもいいことをつぶやいているものだ、と感心すると同時に呆れもするのだけれど、そこで気になるのが、漢字の変換ミスだ。
 そのいちいちを記録しているわけではないので具体的に示すことはできないが、例えば同音の熟語を間違ったままで使っていたり、耳で(おそらくテレビから)聞いただけの言い回しを、うろ覚えで使っている。しかしツイッターや某匿名掲示板のような世界では、そうした表記の間違いについていちいち指摘したりする雰囲気は存在しないようで、意味が推測できればいいでしょ、ぐらいの感覚が主流であるように見える。
 3月11日、とあるサイトの書き込みでこういうのがあった。

「震災の事は忘れたいという気持ちで今日は一杯でした。(中略)私の生死感があれを境に書き換わってしまった以上、忘れないのだと思います」

 

 本文はもっと長いもので、書いている人物は思い入れたっぷりに被災者の冥福と東北の復興を祈っているのだけれど、私にはどうにも解せないというか、気になって仕方がない部分がある。
 そう、「生死感」だ。
 こんな日本語はない。
 要するに「死生観」と言いたいのだろうことはわかる。
https://kotobank.jp/word/%E6%AD%BB%E7%94%9F%E8%A6%B3-519859
 大辞林には「死あるいは生死に対する考え方。また,それに基づいた人生観」とある。つまり人の生き死にに対する「見方(観)」ということであり、生き死にの「感じ方」ではないのだ。そもそもパソコンでこの「せいしかん」を打てば、「せいし」と「かん」を分けなければ変換されないのであり、その時点でちょっとおかしいんじゃないかと気付きそうなものだと思うのだが、まあ今はスマートフォンを使っている人も多いだろうから、わからない。
 この微妙な間違い加減が、なんともたまらなくなってくる。震災四年目というタイミングで、ちょっと気取って書いてみたのだろうけれど、それが間違っているというのはかなり恥ずかしい。私だって偉そうに人様のことを言える立場ではないのであり、もし自分がこれをやったとしたら、ワーッ!と叫んですぐに削除するか訂正したことだろう。しかし彼はそれをしない。恐らくその間違いを誰も指摘しないだろうし、本人は結構いいことを言っていると思っているからだ。
 昨今はナショナリズムとも言えないような、ちょっとした愛国気分、近隣諸国排斥気分の人々が多いようだけれど、せめて日本語ぐらいはきちんとすべきではないかと思う。ぼんやりしていると戦争になっちゃうかも知れないのであり、その時には彼ら自身が空爆を受けたり、場合によっては兵士として戦地へ赴かねばならない可能性だって出てくる。その時には人生とは何か、日本人としていかに死ぬべきかという、まさに「死生観」が問われることになるのだ。そこで生死感なんて言ってたら、ふにゃふにゃ力が抜けて流れ弾に当たってしまいそうな気がする。